🐾 比べる、比較する。
国分寺の僧官が、送別の宴をしにおいでになった。 ここが洒落(しゃれ)です。
㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
💅 1月27日 『』 : 鳴門の土佐泊へ。
1二十二日に、和泉の国までと平らかに願(ぐわん)立つ。
フン」 「五年六年のうちに千年や過ぎにけむ、かた枝はなくなりにけり。
🐲 今宵 こよい 、「かかること。
千歳の松って言われるほどの松の木がなくなるってことはさ。
今 生 お ひたるぞ 交 ま じれる。
😋 「淡水の海=湖」などとは違って、 「塩海=塩分を含む海水をたたえた海」のほとりだから、 自然の防腐剤(塩)が利いていて、魚は腐ら(=あざれ)ない。 藤原(ふじはら)のときざね、船路(ふなぢ)なれど馬(むま)のはなむけす。
かれこれ、知る知らぬ、送りす。 直前に「す(サ変の終止形)」が来ているため接続が体言・連体形である断定・存在の助動詞「なり」のことではない。
「あやし」は、不思議だ、変だ、が原義の形容詞です。
⚒ 」 「ただ日の経ぬる数を、今日幾日、二十日、三十日と数ふれば、およびもそこなはれぬべし。 和歌を新国司がよんだ。 送りす=サ変動詞「送りす」の終止形。
9これは餞別をもらったからといって褒めているわけではないのだ。
出典 土佐日記 参考 「国語総合(古典編)」三省堂 「教科書ガイド国語総合(古典編)三省堂版」文研出版. (それなのに)この人が、堂々として立派な様子で、餞別を贈ってくれた。
💢 見し人の 松の 千年 ちとせ に 見ましかば 遠く悲しき 別れせましや 亡くなった娘を、千年もの寿命がある松のように(生きながらえて)見ることができたなら、どうして遠い土佐での悲しい別れをすることがあっただろうか。
二十四日と二十五日は対になっている。
長年親しく交際した人々であろう。