😉 第十一代垂仁天皇廿五年三月に あまてる御神 ( 天照大神 )の御をしへにしたがひて、伊勢の國 いすゞの ( 五十鈴 )川かみにいはひ奉て、第二のひめみこ 〔ひめみこ、一本作皇女。
藤原道長男)法成寺の修正 (*しゆじやう。 又津守國基申侍けるは、南の 社は 衣通 ( そとほり )姫也。
)日吉行幸行事の賞にて、從二位をゆるされける。
😇 結末は北の方の心が風流だったとかなんとか、奥さんの懐の深さみたいなところを持ち上げていますが、立派だったのはやはり旦那の敦兼さんの方ですよねぇ。 )を達してける、目出度程のものなりけり 〔けり、據一本補。
3)と書れたりと見て覺にけり。
今、多年収拾の功をとげて、一部竟宴の儀をいたす。
🖕 舞の間に心にまかせて鳥をとらせ 〔せ、一本作れ〕ければ、見るもの目をおどろかしけり。 他家にはありがたき事也。 仍大食調不 レ尋 二日次 一。
18さて始おこなふに七日に驗なし。
そのゝち世おさまり民ゆたかなり (*原文「ゆたたなり」)。
😝 では内容を紹介していきましょう。 さらに鬼は、体から火を発して暴れ回った。 昨以 二消息 一觸 二權大納言 (*源雅定カ) 一云、明日習 二入調 一如何。
19豐原時元男)いまだおさなかりける時、時元はうせにければ、大食調入調曲をば時秋にはさづけず、義光には慥にをしへたりけり。
俗名紀重定。
🤗 かゝる程に御戸開きまいらせんとするに、いかにもひらかれさせ給はざりければ、 社司共 せん ( 詮 )つきてねぶり居たり 〔たり、一本旡。 古今の説話の集成とはいえ、大半がの説話で占められ、当代の説話は比較的少ない。
18久送 二風霜 一、時有 レ受 レ苦。 次に和歌を講ず。
有 レ恨將 レ逢 二五度春 一。
💢 )大炊御門の家に行幸有しふるき賞をつのりて、同年八月十七日同從二位をゆるされけり。 隆覺が方の兵寺中へみだれいらんとする間合戰に及びて、隆覺が方の軍兵多く命を失ひ 〔失ひ、一本此下有に字。
帽子に摺衣をぞきたりけ 〔りけ、一本旡〕る。
などしてくださる(/)。
🤙 多好方 (*多近方男)これを聞てかの内侍にとひければ、しらざるよしをぞこたへける。 謬比 二鳴 〔注丨鳴、一本作鴻。
15コウビルド英英和 0• 藤原公行男。 藤原經實男。
実は、『古今著聞集』が手元になく、資料を探しあぐねて図書館で『日本古典文学大系』という押し花を作るような本を借りてきました。
🤣 白河院御時六條内裏に行幸有けるに、朱雀院 〔院、據一本補〕大納言 俊明 (*源俊明。 あやしい古典文学 No. 1254年(建長6)成立。
13かたはらいたくあさましくおぼす程に御夢さめぬ。 かたち 葦牙 ( あしかび )のごとし。
其夜の夢に貴僧枕に來て云、よき哉 〳〵汝一乘のてんどくくはだつることをとて、感涙をながしておはしましけり。
😙 『古今著聞集』です。
19鎌倉時代の説話集。
〕の卿宰府 (*在府)のあひだ寺家の佛事・神事の儀式・寺務のあるべき次第など委しく記しをかれて、三卷の書と名付て寳藏に納めて今に傳はれり。