👌 見つける、発見する ゆるるかに=ナリ活用の形容動詞「ゆるるかなり」の連用形、ゆとりのあるさま、たっぷりとしたさま、ゆるいさま 目安き=ク活用の形容詞「目安し」の連体形、見た目が悪くない、見苦しくない、感じがよい な=断定の助動詞「なり」の連体形が音便化して無表記化されたもの。 思われる、感じられる、見える、見られる。 僧都のお返事も同じようなので、残念に思って、二、三日経ってから、北山に惟光(これみつ)をお使いとして出される。
11清げなる大人二人ばかり、さては、童 わらはべぞ出で入り遊ぶ。
第一皇子は、右大臣の娘の女御がお生みになった方で、後見がしっかりとしていて、当然のように皇太子になられる君だと、世間も大切に存じ上げているのだが、この御子の輝くばかりの美しさとは比べようもなかったので、一通りの形ばかりのご寵愛であって、この若宮の方を、自分の思いのままに可愛がられて、大切にあそばされていることはこの上もない。
⚠ 心憂く=ク活用の形容詞「心憂し(こころうし)」の連用形。 このまま普通に考えれば、敬語が突然出てきたら、光源氏が疑わしい、ということにはなります。 じゃあ、悲しいのは誰なんだ…ってなりません?当然、これは作者に私たちが巻き込まれているわけです。
7いづ方=代名詞、どこ、どちら、どなた か=疑問の係助詞、結びは連体形となる。 ここではやっぱり、作者や私たちにも見られているわけで、敬語は忘れられていきます。
」と言って、たいそう残念だと思っている。
😭 」とて、いと 口 くち 惜 お しと思へり。
3思い出される。
べう=当然の助動詞「べし」の連用形が音便化したもの、接続は終止形(ラ変は連体形)。
⚔ 簾 すだれ 少し上げて、花 奉る めり。
19すいません。 簾を少し上げて、花を供えているようである。
源氏は北山の聖の所へ向かう途中、若紫たちの住む 「小柴垣で囲まれた家」 を見かけ、興味を持っていました。
⚑ まずは、「見る」ですから「見・ず、見・て、見る。 単純に「見える」とやるのはおすすめしません。
20続きはこちら. な=断定の助動詞「なり」の連体形が音便化して無表記化されたもの。
」とて、 尼君は、「ほんとうにまあ、なんと幼いこと。
☯ 「さもあること」と、皆人申す。
13スポンサーリンク 紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた 『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。 「雀の子を犬君が逃がしてしまったの。
退出する。
👊 動作の主体である光源氏を敬っている。 」ですから、最後は完了の「ぬ」です。 なんで音? そうです。
12この女御は誰よりも先に御入内なされて、その家柄の良さゆえに帝が大切に扱われていることは並々のことではなく、皇女たちなども産んでいらっしゃるので、この御方の諫言だけは、さすがに無視できないことだと、面倒に煩わしくお思いになっているのであった。 数多(あまた)=副詞、たくさん、大勢 つる=完了の助動詞「つ」の連体形、接続は連用形。
籠の中に入れておいたのに。
⚠ [現代語訳] 翌日、源氏の君はお手紙を差し上げなされた。 (居ても立ってもいられない)ですから、前が「つく」で「つき」になっています。
5それにしても、源氏が、どんどんこの少女そのものに惹かれているのがわかります。 この座っている女性が、 「いつもの、不注意者が、こんなことをして叱られるのは、ほんとうにいけませんね。
たいそう色が白く気品があって痩せているけれども、頬の様子はふっくらとしていて、目もとの辺りや、髪が可憐な感じに切りそろえられている端も、かえって長いものよりも格別に当世風で気がきいているものだな、と(光源氏は)しみじみ心ひかれてご覧になる。
😇 簾を少しまき上げて、花をお供えするようである。
それにしても、 激しい山風(嵐)が吹いて散ってしまう峰の桜、その桜が散る前にお心を少しだけ寄せられたような儚さが、とても頼りなく思えてしまうのです。
「すずめの子を 犬 いぬ 君 き が逃がしつる。