💕 その時に自分が普段から知らず知らずのうちに内輪ノリの会話をしていたんだなと実感しました。
7心理学では、誰かにしてもらったことは返したくなると言う心理を返報性の法則といいます。
私は小説を書いてますが、ツイッターがきっかけで作品が嫌いになったり創作ができなくなった、はありませんが、憧れでフォローした方の下ネタツイートがキツかったことと、精神的な病を抱えているのか何ツイートにも及ぶ鬱な呟きでツイッターを覗くのが嫌になってた時期があります。
😔 現在は別のジャンルで活動していますが、この一件があってからは、「また同じような悲劇を繰り返すのでは?」と考えてしまい、サークル同志の交流が怖くて出来ません。 最初はただ好きなジャンルで交流持てたらってだけだったんですが、見たくないものまで見え始めてきて 人間関係、ネガツイなど 少しずつ創作欲が削がれていきまして……… ちょっとずつ距離を置いていきまして、今は気楽に活動しております。
14自分で集めたファンを批判するとは、同族嫌悪なのか、「こんな奴らがファン」だと思って恥ずかしくなったのか…。
それ、ダメって言われても、なくなることはないですよ。
⚑ ライブハウスで活動を続ける• わかる人だけでこっそりやっててくれれば別にいいんですが、 大した説明もなくわからない内輪ネタや内輪ノリに巻き込まれることがあります。
12俺らはこういうノリだから!みたいな、 知らんわそんなんということを、 皆様ご周知のとおり!みたいなテンションでかましてきます。
(森嶋時生). 破天荒な言動でロックンロールを体現するボーカルの井口理が、自身のツイッターでファンに苦言を呈した。
🤔 「ライブハウス好き」にならない「はぐれもの」もいるのです。 そんなわけないのに。 その後すぐ戻りました。
5問題なのは、「ライブハウス界隈」が「内輪ノリ」に終始してしまっており、自動供給される「はぐれもの」以外には拡大していかないという点です。
庭 高校時代、一番仲良かった友人とやってた遊び ? です。
😄 しかし、社会の溝から自動的に排出される「ライブハウス好き」ばかりが集まると、かなり均質な社会が生まれます。
2だからといって、作品中の現代にそぐわない差別的な表現、嘲笑ネタに同意しているわけでは決して 無い のだ。 仲間うちのイベントが抱える問題点 まず、最初の記事です。
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😎 今でも担任が教室に入ってきて、はいているのがクロックスだとわかった瞬間の教室の雰囲気を思い出すと死にそうになるし、当時のクラスメイトと会って飲んでもヤクザの話になる。 ある日休み時間に 「お前のスニーカーの靴ひもめっちゃカラフルじゃん。
11おそらく10人前後の秘密結社でしたが、当時私はその結社に入りたくて仕方なく、でも今の友達とも縁を切りたくないという葛藤に迷い続けていました。
「僕の持ちネタで、架空ものまねタレントの『ムーシー藤田』っていう キャラクターがあるんですけど……その人が別の『架空芸能人』を 演じてるってことにすれば、どんなキャラでも演じられます」 芸人「ななまがり森下」が、架空ものまねタレント「ムーシー藤田」を演じ、さらにその「ムーシー藤田」がまた「架空芸能人」を演じることでネタを成立させると主張する森下。
👌 ただ、知らん人に気を使ってまで話しかけない。 って、なってない 笑 ?. ちなみに歌は適当なので、毎回リズムは変わってました。 アートとメルヘンと創作の森さん、ご意見ありがとうございます。
5私も同じ理由でツイッター止めてます。 有名アーティストのライブに行った回数はたぶん3回くらい?です(しかも全部スピッツ)。
ヤミ〜ラ ピザーラのCMが最盛期の頃、友達と2人で事あるごとに「ピザーラにようこそっ!」と言いまくっていました。
👍 内輪ネタ・内輪ノリが嫌な理由:内輪以外でもやり出す 内輪以外を巻き込もうとする内輪ネタや内輪ノリは、 もう内輪ネタや内輪ノリとは言えずに、 テロ行為です。 上記を核として、 ガニ股でちんちんにつけた鈴を鳴らすなどのオプションをつけまくってクソ長い別れの儀式みたいになっていった。 心から好きなものを、好きなように描いて活動していくために、twitterでの深すぎる交流は避けるというのが、今の私の考え方です。
9別に、自分は違うとか見下しているわけではありません。 仲間うちでのTwitterの会話を、リツイートで拡散する• 企画はご破算となったが、井戸田は福嶋マネの新恋人になったスタッフに電話をかけて事情聴取。
【ご報告】桑子マネージャー彼氏募集企画について【霜降り明星】 他の芸人たちもこぞって同様の企画を展開。
👊 担任はクロックスサンダルをはいていた。
17もうその段階で気持ちが悪い感じありますよね。 「地上波に出ているバンドだっている!」と反論する人もいるかもしれません。
もうここらでよか 好きな人からしたら不謹慎な話だが、鹿児島に友人と旅行にいった際、西郷隆盛の 「晋どん、もうここらでよか」という介錯を頼む最後の言葉が流行ってしまった。