自分 の 感受性 くらい。 茨木のり子「自分の感受性くらい」②『「自己責任」と「時代のせいにはするな」』

🌏 他人のせいにして、社会のせいにして、自分にできないことを正当化している「わたくし」。

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豊かな表現力で綴られている、バラエティーに富んだ自由詩の世界を堪能することができます。

⚠ できることから一歩ずつ。 最近、思うのです。

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恋を語ることもできなかった。

☎ 読み終わった後に、一緒に手をとって歩いてくれるような、何とも言えない心強さを感じられる。 「私の何を知ってこんなことをいうのか!」と怒りがこみあげてくる。 その人が、何かの原因でそのような不機嫌をブンブンと撒き散らすのです。

それだって立派に「守り抜く」ことになるのだと思う。

😛 消費税はあがり、外国人労働者は増える。 作者が言い方としては上からだが、立場としては読者と同じレベルで「ばかものよ」と言う。 人が救われるのは、愛する人にいたわりの言葉をかけられた時だけではない。

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) だから読者に読み手である「一人」を批判しているという怖い気持ちを与えない。 どんな法案が通っても関心を持って行動する人間は少ない。

🙂 1999年、晩年になって刊行された詩集『倚りかからず』は、詩集では異例となる大ヒットを記録しました。 老後の問題もいまのうちに考えてお金を貯め、生命保険に入り、健康寿命を延ばすために、運動を勧め、それができなくて孤独死するならそれも「自己責任」。 この詩は、いいですよね。

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なにもかも下手で、だからといって上手くなる努力もせず怠って、できないことを他人のせいにして、不機嫌に怒って…。

⚐ I tried to translate into English - hope I did not ruin it! 5.最後の2行に圧倒された。

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気付けばその日も時計の針は夕陽の時間をさしていた。 生徒たちは最後の「ばかものよ」というフレーズが印象に残っているらしく、上の学年にいっても「ばかものよ」の詩、と言えば大抵が「ああ!」と思い出す。

📞 彼女の心の声が国境を越えて人の心を打ったのだ。 わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた 作者は当たり前のように過ごすはずだった青春時代を戦争によって奪われた。 作者は戦時中という言葉に縛られ、いろんなものを奪われて「さびしかった」。

その後、戦争に巻き込まれ、空襲の恐怖や飢餓の苦しみを体験し、19歳のときに終戦を迎えました。 残念なことにそれは叶わないので、中学生の頃から彼女の詩に励まされてきた私たちの世代が、そんな嘆きに戦って「時代の責任」を負っていくべきだろう。

😇 「自分の感受性くらい自分で守ろうよ」 そう言われてはっとしている私に向かって、その人はくしゃっとした笑顔を見せてこう続けた。

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そう決めた私が、真っ先に思い立ったのは、自分の言葉と心を守る手段をちゃんと確保しておかなきゃ、ということだった。

🙄 そして実際に芯の通った優しく強い詩をたくさん残した。

愛する人との道を裂かれた友達もいる。