👐 職業:ライター・文芸ジャーナリスト 経歴 京都大学文学部卒業 1986年、朝日新聞に入社する 文化部、「AERA」「週刊朝日」などで主に文化・文芸・出版関係の記事を書いてた 2009年~2011年、書評欄の編集長に就任する 2011年、朝日新聞を退社しフリーに 2016年9月21日、河出書房新社より「文藝」戦後文学史を出す 以上が、お嫁さん・佐久間文子さんの経歴やプロフィールになりますね。 安原顕も坪内祐三も、いまや絶滅種というべき「破滅型の文学人・編集者」で、坪内氏などはその最期の世代に当たるかもしれない。
「本の雑誌」は、「さようなら、坪内祐三」と題し、坪内番編集者座談会、総勢37人の追悼のことばにツボちゃんに教わった店、さらに自宅と仕事場の本棚を8ページで公開するカラー口絵「本棚が見たい!特別編」まで、88ページの大特集を4月号で出しているが、本書は397ページにわたり、丸ごと同誌と坪内さんの関係を総ざらいしたものとして、大きな意味を持つ。
そのタイトルを耳にしたのは、いつのことだったか。
⌚ だが私には、坪内さんの訃報は、鞭うたれることこそふさわしいと考える。
18アンビバレンツであることを「良」とする人だった。 実際に連載が始まったのが二〇一九年の四月(五月号)だから、担当編集者としての怠慢は明らかだ。
早稲田高校から早稲田大学第一文学部に進み、同大学院英文科の修士課程を修了。
✆ その頃やめたりするのは、コネであれば、現代よりもやめにくいと思うんですが、トラブルがあったようです。 「週刊文春」も特集 「週刊文春」の特集では、中野翠さん、泉麻人さん、平山周吉さんが、「文庫本を狙え!」について語っている。
1私の家は大通り(現西福寺通り)から入った路地に面していた。
そして二〇〇九年、一〇年、一一年(この原稿を書いている今日は二〇一一年三月十一日が描かれた日だ)と進み、その間のあまちゃんの変わらなさ、そしてそういうあまちゃんによって周りの人間が変わって行く(良い方向に向かって行く)様子(例えばただのやり手業界人だと思われていた荒巻の潜在的善人性が引き出される)が描かれる。
✍ 『文庫本を狙え! 登場する処刑機械はピタゴラスイッチみたいにめんどくさくて愉快だ。 同時に、高田馬場から大学まで人力車を走らせ、無料でお客さんを運ぶというアイディアが持ち上がり、実行される。
15坪内さんの論法は非常に乱暴で「こんな本は読まなくても中身は分かる」「そして、こんなものを読むのは、偏差値秀才のなれの果て、中身のない人間が手っ取り早く結果を知ろうとして読む」と撫で斬りにしたのだが・・・。
第17回 () 「屋上への誘惑」 ・ 「慶応三年生まれ七人の旋毛曲り」• そして書いた。
😂 わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。
15この回の終わりで、小学校の同級生であるコミちゃんとのエピソードが語られる。
端的にいえばプロデューサーやディレクターであり、雑誌や書籍に関しては「編集者」がこれに当たる。
⚡ 第12回 () 「子供より古書が大事と思いたい」 ・ 「花の脇役」• 泉さんによると、『編集者として、追悼特集が好きだったからね』という坪内さん。 絶対に会いたくないと思ってきた。 コミちゃんの家の近所にお寺があって、そこに時々人魂が飛ぶ。
10他に山口・坪内と関わった編集者が参加している。
つまり新人賞に応募すれば良いのだ。
🙌 そこがとても新しい。 駅の周辺をじっくり見学した後、さらに南に歩いて赤堤小学校、そして小田急線経堂駅へと向かったのだが、その途中で、坪内さんが三歳から、独立して三軒茶屋に引っ越すまで住んでいた実家に立ち寄った。
6『文庫本福袋』 文藝春秋、2004、文春文庫、2007• いや、そのオファー自体が途絶えることはないのか。 彼はここでは外国映画にしか投票しないため、いちばんその感想を聴きたい『風たちぬ』については何も得られぬ。
だから「東京っ子」を自称するのはサギめいている気がする。
😋。
15痛みはだいぶおさまったものの、いまだに鉛筆・ケシゴム・原稿用紙というスタイルで書いているので、左手が使えないのは大きなハンディキャップ。
おそらく神保町か、新宿の酒場での雑談の中で、坪内さんの口から囁かれたように記憶している。
⚛ 本を愛した人だったからなのか、同誌の持ついい意味でのアマチュアリズムが肌に合ったのか、『靖国』、『古くさいぞ私は』、『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』、『新書百冊』、『人声天語』、『酒中日記』など四十数冊の単著と多くの共著を出して、去った氏の業績と人を知る上で、もっともふさわしい書と言えるだろう。 大後悔。
1ご冥福を祈ります。 この本によれば神蔵美子は1990年春頃に『東京人』編集者の坪内祐三と北島敬三を介して出会ったという。
『明治事物起原 3』(ちくま学芸文庫、1997・07)• が、その可能性を考えさせる状況証拠がそこここにあるというのは事実だ。