😘 「穿った」の使い方• 「うがった」という響きから「疑った」と結びつけてしまう間違いがとても多い、ということかもしれません。 ですので 「うがった見方をする」は、他人に対して言った場合は、本来、ほめ言葉です。 このことからも、 「うがった見方」は「物事の本質を捉えた見方」と言えます。
2「穿った」を英語で表現すると、find(見通す)eccentric(ひねくれた)などとなります。
また「うがちすぎ」という表現に「真実とかけ離れた」という意味があることと関係があるのでは、とされています。
⚑ 4% を上回っています。
17ズボンやスカートを履く。 あいつは「うがった」見方ばかりしているから、みんなに嫌われるだろうね。
「ズボンを穿く」や「靴下を穿く」などですね。
⚛ 「穿った」の意味は、 「物事や人情の本質・背景を的確に捉えた」や 「本質を捉えようとし過ぎて必要以上に深く詮索したり疑ったりする」になります。
8(1)あなをあける、あなを掘る、つきぬく (2)詮索する、普通には知られていない所をあばく、微妙な点を言い表す (3)凝ったことをする (4)中に体を通す、衣服・はきものなどを身につける このうち、 「うがった見方」は(2)の意味です。 例えば、 「穿った見方」には、 「人を疑い過ぎる、誤った見方」 「考えすぎて、本質を見失った様子」などの意味があると、考えている人がいます。
つまり誤用の方が一般的に広まっている現状です。
🤟 <「君はうがった見方をするね。 」 夏目漱石「文芸の哲学的基礎」 2)<われ知らず>穿った事 「「何でも自分の嫌いな事を月並と云うんでしょう」と細君はわれ知らず穿った事を云う。 「穿った見方」という言い方は「物事の本質を捉えようと鋭い視点で見る」という意味になるが、ある種皮肉っぽく聞こえるので、【穿ち過ぎ】の意味にとらえられると思います。
例えば新規案件に対する固定観念に縛られない意見が欲しい場合には 「この案件について うがった見方が得意な彼の目にはどう映るかを聞いてみたい」 物事の真実に自由な発想で迫ったことで導き出した研究結果がある場合などには「素晴らしい研究結果に辿り着いたのは うがった見方を得意とする彼女の存在があったからだと言える」 そしてうわべに惑わされない世界観を確立している人を評する場合には「彼の独特の世界観は常に物事を うがった見方で見ていることで作り上げられたようだ」などの用い方ができます。 では、何故、こういった本来の意味と異なった使い方になったのか考えてみました。
冒頭の自称日本語好きの名が廃りますね。
😚 しかしながら、「詮索」という言葉の意味は、あくまでも「細かい点まで調べ求めること」です。
(ア)物事の本質を捉えた見方をする・・・・ 26. 答え:A• 随筆での用例を見てみましょう。
(寺田寅彦 「ニュース映画と新聞記事」 昭和8年) ここでは,「週間ロンドン・タイムス」の記事の文章がどのような小説や心理学の教科書よりもうがったもの,つまり人間の心理の本当の姿をうまく捉えたものであった,ということを言っています。
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10どーん! 物事の事情や背景を見通そうとした見解や考え方。 例えば、ある言葉の起源を細かく調べ上げようとすることも「詮索」なのです。
「穿」は「穴」と「牙」という字で成り立っていますが、もともと住居としての穴を牙で開けるという意味から生まれた漢字です。
🤐 これは長い年月の人々のやり取りにおいて、伝言ゲームのように少しずつ変化していったと思われるので明確な理由は不明です。
18穴を開けることと履くことは関係ないように思えますが、「穴の開いた衣服に下半身(足)を貫通させる」とイメージすると納得できるのではないでしょうか。
穿つという漢字は穴と牙で構成されています。
✇ これが、言い回しを略して、「穿った見方」になったのでは? つまり、正しい表現は「穿ちすぎた見方」ではないかということです。
19一世代(30年)も経てばこちらの使い方が勝つてしまうかも知れません。
しかし、現代の日本人の多くは、「穿った」に素直に見ようとしない、ときに悪意に満ちた、ひねくれた視点というイメージを抱いているでしょう。