⚒ 来る日も来る日もそなたの姿を このあこがれの中に持っていなくてはならない。
3自撰の秀歌集『山家心中集』では恋部の冒頭に置かれており、西行にとって思い入れの深い作だったか。
大和国の歌枕。
⚛ Reiselied さすらいの途上 (クヌルプの思い出に) 悲しむな、もうじき夜になる。 【補記】『山家集』に「恋」と題した歌群五十九首の冒頭。 しかしほかの誰かがこの二つを 一緒に聴き取るかどうかは疑わしい。
『西行法師家集』は題「鴫」、新古今集は「題しらず」。
七月の夜のように、僕らの生命は 夢をになってその輪舞 りんぶを完成するだろう、 空想と盛んな収穫祭とに夢中になるだろう、 麦の穂と赤い罌粟 けしとの花環を手に持って。
🤫 俊成の判詞は「左の歌は、春の桜を思ふあまり、神代の事までたどり、右歌は、天の下をてらす月を見て、神路山のちかひをしれる心、ともにふかく聞ゆ、持とすべし」。 【補記】『山家心中集』では巻頭歌。 大地は暖かく広々と息づいている…… お前は今日もまだ何か私に用があるのか、 失われてしまった青春の日々よ。
6命があってのことである。 ただ恥とにがい悲しみとで 訴えるほかはないこの私に。
未来は、世界成就は、 もう彼を必要としないのだ。
🤛 【補記】「清らかな急流」という意味の名をもつ歌枕「清滝川」を効果的に用いて、美しくも力強い早春の自然を謳い上げている。
8インスパイアソングの勿忘 その歌詞も、とても響くものがある。
友らよ、秋は近い。
💙 * 「西行はおもしろくて、しかも心もことに深くてあはれなる、有難く出来がたき方も共に相兼ねて見ゆ。
掲出歌では生駒山地の端を外山と言ったものだろう。 愉悦 ゆえつに輝き、どんな悲惨のつらい霜にも悩まされなかったものとして。
【補記】「さぞ」とは、砂遊びをしている子供を見て、自分も同じだったと顧みている心。
👐 【補記】桜の森が深く続く吉野山の花見、その肝所をおさえた歌。
もとは呪術的な護身具。 【他出】夫木和歌抄 昔せし隠れ遊びになりなばや片すみもとによりふせりつつ (聞書集168) 【通釈】昔した隠れんぼになればよいなあ。
『山家集』には見えない。
👏 どこかで休息を得ようなどとは願いもしなかった。 生涯を通じて歌壇とは距離を置き、当時盛行した歌合に参席した記録は皆無である。
【他出】治承三十六人歌合、御裳濯河歌合、山家心中集、西行家集、玄玉集、自讃歌、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、御裳濯和歌集、歌枕名寄、愚見抄、桐火桶、井蛙抄、六華集、耕雲口伝、西行物語 【主な派生歌】 誰か知るうき世をすてて柴の戸をやがて出でじと思ふ身ぞとは 題しらず 山里にうき世いとはむ友もがな悔しく過ぎし昔かたらむ (新古1659) 【通釈】この山里に、現世の生活を捨てた友がいたなら。 嘆いたところで少しも心は慰まない。
篠ためて雀弓はる 男 をのわらはひたひ烏帽子のほしげなるかな (聞書集169) 【通釈】細い竹をたわめて、雀弓の弦を張っている男の子は、額烏帽子がほしげな様子であるよ。
😉 悲しむな、もうじき時が来る。 『山家心中集』の詞書は「土佐のかたへや罷りなまし、とおもひたつことの侍りしに」。 生きて年を経れば。
1それにつれて私の心もくらくなり、悲しみに沈みます。 ちょうちょもひらひら 豆のはな。
不変の月の光に在俗時の昔を思い出しての感懐。