石岡 瑛子 展。 東京都現代美術館「石岡瑛子」初の大規模回顧展、『ドラキュラ』映画衣装などから迫る“感情のデザイン”

👏 スリリングな視覚効果と安全性を両立させた シルク・ドゥ・ソレイユのステージ衣装、歌手ビョークの斬新なミュージックビデオ、ソルトレイクシティ五輪のためにデザインした競技ウェアなどだ。 完璧主義を貫く彼女の制作現場は常に緊張の糸が張りつめ、刃物のような立ち振る舞いだと彼女を揶揄する者もいた。

13
元々石岡は60年に東京で開催された世界デザイン会議で発信された 「デザインとは社会に対するメッセージ」との見解に大きな影響を受け、進む道を定めたという。

😅 時代に一大センセーションを巻き起こした広告キャンペーンから、音楽、演劇、オペラ、映画、サーカス、ミュージック・ビデオにおけるアートワーク、北京オリンピックのプロジェクトなど、世界中の有名無名の表現者たちとのコラボレーションのもと手がけた仕事は、グラミー賞、アカデミー賞など数々の栄誉に輝き、世界的に高い評価を受けています。 1969年、「パルコカレンダー」• どれも視覚の驚きがあり、登場人物の性格を肉付けする独創性に富む。

6
・月曜(2021年1月11日は開館)、12月28日ー2021年1月1日、1月12日は休館。

🖕 名前も知らない監督ながら、その熱心さに仕事を引き受けた石岡瑛子は、その後も、『落下の王国』 2006 、『インモータルズ -神々の戦い-』 2011 で彼と協働。 80年代初頭、ニューヨークに拠点を移した石岡は 日米共同出版した作品集「石岡瑛子風姿花伝 EIKO by EIKO」を名刺代わりに、次のステップへ歩みだす。 」(石岡瑛子 世界グラフィックデザイン会議での講演より) Timeless(時代を超えるもの)、Original(自分にしかできないもの)、Revolutionarty(革命的なもの)をデザインの根幹に据え、自らの可能性に常に挑戦し続けた石岡は、亡くなる直前まで、エンターテインメントを中心とする世界のトップランナーであり続けました。

5
詳しくはへ。

☘ 「表現者にとって一番大切なのは鍛錬」とバイタリティの塊のような生涯を送った彼女。 (名誉賞・)• 会場内で流れる、石岡さんが自身の仕事、そして映画に対する情熱を語るインタビューも必聴だ。

15
性や国境、貧富の枠組みを揺さぶり、消費者の意識改革を促す表現は力強く、その先見性に驚かされる。

⚓ 石岡瑛子とは… 「すごい日本人」と、世界が称賛した人物。

『』(名誉賞・)• 社会現象となったサマーキャンペーン( 1966)で頭角を現す。 マイルス・デイヴィス『TUTU』のジャケット・デザインでグラミー賞受賞(1987)、映画『ドラキュラ』の衣装でアカデミー賞衣装デザイン賞受賞(1993)。

👣 『』(名誉賞・)• 1938年、東京都生まれ。 第1章では、『西洋は東洋を着こなせるか』をはじめとするパルコや角川書店の広告などを通して、1960年代の高度経済成長期から80年代に至る、日本大衆文化の成熟を消費行動の視点から追う。 1960年代の東京でデビューし、80年代初頭に拠点をニューヨークに移し、映画やオペラ、演劇、ミュージック・ビデオなど、多岐に渡る領域で世界的に活躍した石岡瑛子(1938~2012)。

8
1980年代からはNYを拠点に幅広いプロジェクトを手がけアカデミー賞、グラミー賞、ニューヨーク映画批評家協会賞、カンヌ国際映画祭芸術貢献賞を受賞。

📲 加藤貴大、熊本直樹、EDP graphic worksが本展の出品作品を再構成した映像のほか、壁面には石岡本人が残した言葉が展示。 社会現象となったサマー・キャンペーン(1966)を手がけ、独立後もパルコ、角川書店などの数々の歴史的な広告を手がけた石岡瑛子。 (・・・)(科学技術賞・)• 『ドラキュラ』は石岡瑛子展のポスターを飾るだけあり、衣装もデザイン画も多数展示されている。

7
高い感度とビジョン、企画力を併せ持ち、それらを統合して目に見える最適解の形に転換する。 だが、80年代初頭に米国に拠点を移し、さらに多彩な分野を手掛けたため、日本では全体像が見えにくい状況が続いていた。