コペルニクス 的 転回。 コペルニクス的転回の二つの意味とは?カントの認識論哲学における対象の側から主観の側への認識論的転回

⚑ 」がイタリックになっておらず、そのかわりに「wir」「von uns」が隔字体になっている。 おお、同時に客観まで現代と同じ用法になった……。 例えばカント自身は、「物自体」の概念の中に「自由」の概念の結びつきを考えることになります。

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たとえば『夜と霧』の英訳では「Aufgaben」は「mission」ではなく「tasks」と訳されているのだが、フランクルが監修したはずの前述の「Logotherapy in a nutshell」には、同じ文脈で「vocation or mission」という語が現われており、「ミッション」という言葉には一定の正統性があるとも考えられるからである 41。

✇ そりゃそうです。 この応答の「責任性」の次元のことを、フランクルは「実存Existenz」と呼んでいる。

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独在性の問題については、『現代生命哲学研究』第6号(2017年)に拙論を掲載する予定である。 認識の対象は逆に世界の側にあり、客体的なものですね。

🤭 したがって、一般的な英語版読者は、『夜と霧』の「コペルニクス的転回」と言われても、何のことか分からないだろう 11 )。 ・・・ 次回記事: 前回記事: 「」のカテゴリーへ 「」のカテゴリーへ カテゴリー• まぁ、要は2つの派閥をまとめ上げたわけですから、 そりゃ哲学者としての評価はすごいですよね。 このカントのコペルニクス的転回のことば「対象が認識に従う」とは、「客体は主体に規定される」と言い換えることもできます。

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そのため、対象である「物そのもの」は、空間と時間の形式に縛られた状態で表れてくることになります。

✆ コペルニクス的転回とは、アウトサイドインアプローチを採用していた人間が、インサイドアウトに目覚め、 自分の内側に原因や責任を求めるパラダイムの転換なのです。 その理由は明白であった。 カントはこれを「コペルニクス的転回」と例えて説明しました。

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人間は実体を観察することができるのだ,という大前提がそこにはありました。 普通に生きていれば皆さんはきっと「天動説」を信じるでしょう。

🤣 そして「この覚醒体験を経て、フランクルの「人間は人生から問いかけられている」という言葉が私の胸にストンと入ってきました」と述べている p. それが日本語訳では読みやすく美しい文体になっている。 「地球が動いているのなら地上の物体が取り残される」 「恒星の年周視差が観測されない」 といった、地動説の欠点を払しょくすることもできませんでした。 すなわち、 第一章 学校と、社会の進歩 第二章 学校と、子どもの生活 第三章 教育における浪費 という構成なのだが、これはそれぞれ最新学習指導要領と、 1 社会に開かれた教育課程 2 主体的・対話的で深い学び 3 カリキュラム・マネジメントと学校経営 というふうに対応している。

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今回、『夜と霧』を読み直してみて、フランクルもまたそれと同様の主張をしていることが分かった。

😂 人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。

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真上に投げた石が、落ちてくる間に地球が動いてるのだから、同じ位置に落ちてくるのはおかしいという疑念です。 だが、そのような絶対的信頼は、「絶対的存在である神への信仰なしには考えられない」 24。